パリ旅行の準備:映画編3『ポンヌフの恋人』
「なんか恋人の話らしいねー」とか思いながら観たのでひどいめにあった。
凄惨なるパリ。
本作で描かれるのは、決して「花の都パリ」ではない。夜のパリ、徘徊する浮浪者たち。主人公は老朽化のため封鎖されたポン・ヌフ(「新しき橋」)、工事の中断された橋の上で暮らす大道芸人の男・アレックスとそこに転がり込んだ女・ミシェルである。
パリの中心・シテ島も、橋のたもとの百貨店サマリテーヌも、度々映し出されはするのだが物語とはなんの関わりもない。ただ崩れかけの橋、そして稀に、夜のパリにともる灯/吹き上がる炎/祝祭の花火が映されるだけだ。メトロの地下道は迷宮で、外の建物は悪夢の中にしかない。
パリの夜。不眠症の主人公はそこをさまよっている。
時折画面を焼く光は極めて美しい。革命200年祭の花火の火の粉が降り注ぐ中で踊る2人の場面は、なるほど名画と呼ぶに相応しいだろう。だが観光案内的パリ映画というテーマから観ると、ここはパリのまどろみ(ミシェルがラストで叫ぶように)、あるいは悪夢、観光客には触れるべくもない場所なのだ。
続けて『パリ、ジュテーム』 を観てから感じたことだが、本作の主要登場人物たちは(アレックスは語られないため、定かではないが)、ある意味では「自ら選び取って」“橋の上” へ来た人々である(もちろん、のっぴきならないいきさつがあってのことではあるのだが)。彼らにはかつて家があったか、今も帰る場所を持っている。けれど自ら浮浪者となり、あるいは自らの意思で“世界の果て”へと向かおうとする。そのために本作にはなおさら悲壮感が漂うのかもしれないし、パリの街に暮らすことができず放浪を重ねる彼らの姿には、「これはパリ映画ではなかったのかもしれない……」と思わざるを得なくなってくるのである。
『ポンヌフの恋人』1991年/フランス/125分